メンタルの話/髙木凜々子

今日はヴァイオリニストや芸術家に限らず、生活をしていて必要不可欠であるメンタルの話をしていこうと思います。
少しびっくりする内容になっているかもしれませんがお楽しみください

私はよく周りから
「メンタルが強くて羨ましい」
「心臓に毛が生えてるでしょ」
「何言われても大丈夫そう」
など言われることが多いです。

そりゃ私も人間なのでもちろん傷つく出来事などがあるとメンタルにきて高熱を出すこともありますが、
何百人何千人の人を前にして大舞台でヴァイオリンの演奏をするということは、やはり清水寺へ飛び込む気持ちと同じような覚悟で舞台に立っているんです。
何度も弾き直しがきかない一発勝負、その一瞬にかけているんです。
この点においてはフィギアスケーターと同じだといって過言ではないでしょう。

なぜ私がこんなにもヴァイオリンに熱くなれたか、小さい頃反抗期を乗り越えヴァイオリンを続けてこれたのか、何をキッカケにメンタルが弱くなくなったのか、そこを少しお話していこうと思います。

まずはなぜヴァイオリンに熱くなれたか。
ヴァイオリンを弾く事以外考えられなかったから、です。
両親二人共プロのヴァイオリニストということもあり毎日ヴァイオリンの音が聴こえてくる生活でした。

ヴァイオリンのない生活がむしろ考えられませんでした。

じゃあなぜ反抗期だったのに続けてこれたのかという疑問が生まれますよね。
実は反抗期だったからこそ続けたんです。

先程言ったように両親はこの道のプロです。
この世界が甘くないことを1番知っていましたし、そんなに辛い思いをしてヴァイオリンを弾いてほしくなかった、と思っていたのでしょう

「無理にヴァイオリン続けなくて良いんだよ」
「辛かったらやめていいよ」
「無理してやるものじゃないからね」

時には、
「そんなに練習が嫌ならやめなさい!」
など強く言われることもありました。

そこで反抗期だった私は
「そうだね、やめるね」とは言いませんでした。
「ううん、ヴァイオリン弾くから。」
断固としてヴァイオリンから離れようとしませんでした。

中学生になってからは自分で練習をコントロールできるようになりましたが、小学校時代の私は本当に練習が嫌いで
ただ昔から人前で演奏するのが大好きだったからこそ両親に反抗してまでヴァイオリンを続けたのかもしれません。

もう1つは小学6年生の夏に戸塚ヨットスクールの沖縄合宿で17日間修行したこと、です。

皆さん戸塚ヨットスクールを知っていますか?
昔ながらの教育法(体罰あり)で指導を受けるヨットスクールなのですが、これがまた凄くて。
ヴァイオリン以外での人生のターニングポイントと言ったら、私は迷わずこれと言うくらい凄かったんです。笑

反抗期のくせしてのんびり過ごしていた私に両親はきっとカツを入れたかったのでしょう。
17日間沖縄に行っておいで、と言われそれまで毎日弾いていたヴァイオリンと始めて離れて暮らしました。

毎朝6時から砂浜を走り筋トレをして1日中ウィンドサーフィンの練習、夜はオカリナを吹き勉強をして寝る前にヨガ、という生活リズムでした。唯一の自由時間は16時から18時のたった2時間でした。

ウィンドサーフィンの組み立て方を一度で飲み込まないと先輩に怒られることもしばしば、練習中少しでも疲れて休んでいると先生に「何してるんだ!練習しろ!」と怒鳴られ殴られ蹴られそれはそれは凄まじいスパルタ教育でした。
とても辛かったし当時は携帯と財布を没収され、居る場所も離島なため閉鎖された空間の中過ごしていました。

ただ行って良かったなと思ったのは、辛くても努力する大切さ、必死についていかなきゃいけないという焦り、上手くなりたいという気持ち、たくさんの感情を戸塚ヨットスクールを通して学びました。
そしてたった17日間でしたが、一生の友達も作ることができました。

こういったことをキッカケに私はメンタルとの向き合い方を学びました。

別に無理に辛い思いをする必要はありません。
ただ何か自分のやりたい事を見つけてその夢に向かって行動することは、成功したしないとは関係なく、必ず意味のあるものだと思います。

その夢を叶えたい、本気で立ち向かいたい!と思ったものに出会ったなら、、
どんなに辛くても諦めちゃだめなんです。
毎日泣きながらでもがむしゃらに頑張ることは人として本当にかっこいいなあと私は思います!

少しでもこの投稿が読んでくれた皆さんの1つのキッカケになったらいいなあ

最後まで読んでくださりありがとうございました。
次からは音楽についていろいろ書いていきたいと思います。

お楽しみに!♡

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